2013年10月29日 (火)

アキノエノコログサ(帰って来たウルトラ雑草)

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25・10・25付の「アキノエノコログサ(気になるエノコログサ属の盛衰)」で、平和に共存していたエノコログサ属の中で、アキノエノコログサが勢いを増し、一党支配体制を確立しつつあり、その主因は、気候の温暖化によるとしたが、もう一つ気になっていたのが、数年前から在来種よりも背丈や花穂のサイズが一回りも二回りも大きいウルトラ・アキノエノコログサとも言うべき個体が多くなっていることである。戦後の生活環境と食生活の変化が日本人の平均身長を伸ばしたと同じ現象かも知れない。
最近、その疑問の一端が解明できたのでご報告させていただこう。
(資料:日本帰化植物写真図鑑P-131 畜産草地研究所 渡辺修氏「帰ってきたウルトラ雑草」より)
アキノエノコログサが、中国から輸入された食用キビに混じってアメリカへ渡ったのが、1930年前後、アメリカの風土気候にマッチしたのか、中部から東部のコーンベルト地帯に急速に広まり、あっという間にトウモロコシ・大豆畑の代表的な雑草となり、旺盛な繁殖力の加えて、最近では除草剤に耐性のあるものまで現れ、農業関係者に脅威を与えつつあるという。
アメリカに定住したアキノエノコログサの最大の特徴はサイズの巨大化にある。
① 在来種   草丈50~100cm 花穂の長さ 5~12cm
② アメリカ種 草丈3m        花穂の長さ 在来種の2~3倍
この巨大なアキノエノコログサが輸入穀物と共に帰っているらしい。
日本に戻って徐々に元のサイズに戻るのか、それともウルトラ雑草として蔓延るのか・・・、当分の間は目が離せない。 、

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2013年10月25日 (金)

アキノエノコログサ(気になるエノコログサ属の盛衰)

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アキノエノコログサの花穂が目立つ。
クローズアップレンズで覗いて見ると、花穂の禾(のぎ)が輝いて息を飲むほど美しい。
かしこまってエノコログサと呼ぶよりは、幼い頃から呼び習わした「猫じゃらし」の方が親しみを感じる身近な雑草で、可愛い花穂に惹かれて、通り掛かりに摘み採って帰り、一輪挿しに投げ入れて楽しんだ方も多いのではないだろうか。悪童の頃に、ちょっと気になる女の子の後ろから忍び寄り、うなじ辺りをコチョコチョとくすぐって、悲鳴を挙げさせた甘酸っぱい思い出もある。 
このエノコログサ属には色々な品種がある。花穂を真っ直ぐに立てるのが普通のエノコログサで、花穂が紫色のムラサキエノコログサ、夕日を浴びると禾(のぎ)が黄金色に輝くキンエノコログサ、これらより一回り大きくて長い花穂が垂れるアキノエノコログサである。これらは田畑やその周辺、都会の空き地などに平和に棲み分けているかに見えたが、20~30年前から一寸した異変が生じた。東南アジアの出自で、史前帰化植物として我が国に定住したと言われているアキノエノコログサが均衡を破って徐々に勢力を拡大し始めたのである。
エノコログサの衰退とアキノエノコログサの勢力拡大を最初に気付かれたのは、長い間大本教花明山植物園長をつとめられた津軽俊介氏ではないかと思う。当時、文献を拝見して、京都の植物界の権威の目が、こんなありふれた雑草にまで注がれていることに感激したことを思い出す。 
アキノエノコログサは地球規模の温暖化に後押しされて、見る見るうちに勢力を拡大し、今やエノコログサ属の中で一党支配体制を築きつつあるように思える。
最近の新聞紙上で「ことごとに勝たせ過ぎたと反省し」と言う川柳を見付けて、我が意を得た思いがしたが、人間の世界であれ、植物の世界であれ、一党支配は好ましくはない。
   
  草いろいろおのおの花の手柄かな  芭蕉
そんな世界であって欲しい。

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2013年10月22日 (火)

ホソバヒメミソハギ(細身の美女が田の害草)

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はじめて、アメリカ原産のこの草に出会ったときには、「さすがにミソハギ科だけあって、細身で姿が良く、4弁花が可愛いので、定住して田の畔を賑わしてくれることだろう」なんて、甘い期待を抱いて観察してきたが、とんでもない。昨今の異常高温に後押しされたこともあるだろうが、ひょろひょろと細っぽい外観からは想像もできないほど強烈な繁殖力を発揮して、「あれよ、あれよ」と言っている間に西日本一円を席巻して関東に進出し、国立環境研究所などが、稲作と競合する強害雑草として、駆除方法を研究する事態に至ったと言う。
茎の径は5mm内外だが、背丈は1mに達し、イネの穂を越えることもある。葉脇の節毎に5~6個の花が着き、下から咲き上がって20段を超えるケースも稀でない。花は律儀に実り、1株に100個以上の実が成る勘定になる。 実には0・4mmの種子がぎっしりと詰まっているので、1株で30~40万個が出来、散布された種子は水に流されて広がり、日照さえ十分ならば100%発芽すると言うから怖ろしい。
休耕田が、一年でこの草に覆われる光景をご覧になった方も多いのではないだろうか。
九州方面には同属のナンゴクヒメミソハギが帰化していると聞くが、京阪神地区には、ホソバヒメミソハギが多い。


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2013年10月18日 (金)

マテバシイ(現代版あすなろ物語)その2

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幼稚園児の孫から電話がかかってくる。
我が家では、先ずおばあちゃんが出ることになっているので、私は黙って聞いている。
「遠足で、ドングリを拾ったよ」「よかったね。どんなドングリ?」
「あのね、大きいのと、細長いのと、ちっちゃいの」「大きいのがコナラで、細長いのがマテバシイ、ちっちやいのは、カシドン」と孫は一生懸命に説明するのだが、この辺りから話がこんぐらがってくる。
「マテバシイ、マテバシイ・・・」と何回繰り返してもおばあちゃんに通じないので、「おじいちゃんに代わってよ」と言うことになり、私の出番が回ってくると言う訳だ。
「マテバシイは食べられるよ」とおじいちゃん。「美味しい?」「美味しかったよ」・・・。
ここからは回想、
終戦の前後、子供は全員腹をへらしていたので、お寺の庭に落ちる椎の実は格好のおやつだった。風の吹いた日の翌朝などは起き抜けに駆け付けてもなかなか拾うことができなかったが、その奥のマテバシイは誰も食べられることを知らなかったようで、楽々と一人占めすることができた。
定年後、早池峰山に登る際に、日本で最後に電気通じたと言うタイマグラの山荘に泊まり、有名な「タイマグラばあちゃんの住いを訪ねた。ばあちゃんは既に他界されていたが、明治・大正・昭和をこの辺境で暮らし、度重なる大飢饉を、「食えるものは、なんでも食って生き延びた」というばあちゃんの料理は、山荘の若夫婦に受け継がれていて、手作りの味噌や冷凍ジャガイモ(凍みホド)料理は味わうことができたが、そのおばあちゃんが、唯一、二度と口にしたくないと言ったのは、水に晒したドングリを粉にして作る団子汁「しだみ」だったと言う。餓えたときに口にした食べ物の味は未だに忘れられないが、いま口にすれば果たしてどんな味がするだろうか。「待てば椎になれる」というマテバシイの実は、正直に言って、椎の実に及ばなかったような気がしている。


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2013年10月15日 (火)

ヒメマツバボタン(現代版あすなろ物語)

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ヒメマツバボタンの故郷は南米ブラジル・アルゼンチン辺りで、我が国では1960年前後に渡来が確認されたと言う。園芸植物のマッバボタンそっくりと言うよりも、「マツバボタンの原種はこれだ」と言う説も根強いらしい。 家の周りに芽を出した苗の外見がマツバボタンそっくりなので鉢上げして大事に育てたが、なかなか花が咲かない。「やっと咲いたのをみると、直径5~10mmの貧弱な花で、朝の9時頃に開いて、正午頃には閉じてしまうのでがっかりした」と言う人」があとをたたないらしい。
しかし、この草だけを20年間つくり続けて、屋敷の周りをこれだけで埋め尽くしている老婦人を知っている。年齢は90歳か、もう少し上かも知れない。農家造りの広い庭のある邸宅に住んでいらっしゃる。
通り掛かりに挨拶を交わすようになってから、問わず語りを聞いたところでは、最初はご多聞に洩れずマツバボタンと間違えて育てていたが、「いくら世話をしても、花は大きくならないよ」とからかわれてから意地になり、「せっせと周りの雑草を抜き、肥料をやるなど手をつくしたが、花は一向に大きくならず、葉ばかり茂って、こんなに広がっちゃった」と豪快に笑い飛ばす。
明日はヒノキになるだろうと頑張った井上靖の「あすなろ物語」の現代版である。
散歩の途中のこんな出会いは楽しい。

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アケボノシュスラン(よくぞ、生き延びて・・・)

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何時、何処え行けば、その花に出会えるかと言う類の情報は、多ければ多い程心を豊かにしてくれる。
大阪郊外の室池園地でアケボノシュスランに出会ったのは平成20年10月7日だった。早速このブログで「アケボノシュスラン(花は曙の空の色)」と題してご報告したが、それを覚えていてくださった花の友から、「是非見たいので、在り処を教えてほしい」との依頼を受けた。
なにしろ5年前のことである。 出会った場所も曖昧だし、人の往来の激しいハイキング道に沿う渓流の畔にあって、盗掘に遭ったかも知れない。 心もとなかったので、思い切って園地の管理事務所に「××道のアケボノシュスランは健在でしょうか」と尋ねると、「昔ほど株数は多くないが、いま丁度花が咲き始め、花弁のピンク色が日増しに色濃くなっています」と言う嬉しい答えが返ってきたので、その旨伝えると、早速出掛けて逢うことが出来たと言う。
アケボノシュスランは、南千島から奄美大島まで、朝鮮半島・中国にも分布し、中国山脈などて時に出会うことがあったが、大阪近郊では室池園地以外の生息地を知らない。大阪府植物目録(1990年版)によれば、やや稀ながら金剛・和泉山系の各所に分布している旨の記載があるが、長年この方面を歩いていて未だに出会ったことはない。 ともあれ、里山の宝石のように美しいアケボノシュスランが府民の憩いの場所である園地に生きながらえていて、花の時期に訪ねれば、必ず逢えるというだけで嬉しい。
付近には、シュスランも咲くと聞いたので、是非訪ねて見よう。


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2013年9月29日 (日)

ハナハマセンブリ(この花を探しています)

Photo 地中海沿岸生れのこの帰化植物の観察記録を略記すると
1988年(昭和63年) 神奈川県で渡来が確認された
1998年(平成10年) 吹田・茨木市境付近で初見、以降場所を少しずつ移動死ながら株数を増やす 
(はじめはベニバナセンブリと誤認していたが、のちにハナハマセンブリと同定)
2004年(平成16年)前後、当地区で全盛
2007年(平成19年) 突然姿を消す
2010年(平成22年) 近所の民家で鉢植えされていたものも、姿を消す

大阪郊外の北摂は、帰化植物の宝庫で、特に名神高速道路、中央・近畿自動車道が交差する吹田・茨木両市の境を流れる大正川(一級河川)は、生活用水が流れ込んでかなり汚染しているにも拘わらず、思いがけない新顔の帰化植物やカワセミ・カルガモなどの鳥達との出会いが楽しめる場所だった。 今でも、汚水の中に絶滅危惧種とされているアサザが繁茂し、黄色い花を見せてくれるし、コゴメバオトギリソウ・イヌコモチナデシコ・ノハラナデシコなども、子の流域から北摂一円に広がった。
このハナハマセンブリを大正川の流域で見付けたのは、1998年(平成10年)で、関西では早い部類に入るかも知れない。 以来、毎年この花を追掛けて、可憐な花を楽しみ、川の堤がこの花に覆われることを夢見てていたのに、センブリの仲間特有の放浪癖からか、2007年を境に、突然姿を消し、付近の花好きの方々が、鉢に栽培されていたものも、逐次消えてしまい、6月の花時には相当広範囲に探し回っているが、一株も見つからない。
愛犬(猫)家ならば、写真を添えて「この犬(猫)探しています」と電柱に張り出すこともできるが、野草の広告はちょっと気恥ずかしいので、この場を借りてお願いします。
「北摂方面で、この花の咲く場所をご存知ありませんか」


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2013年9月20日 (金)

スピード・リオン(花にまつわる陰徳の記録)

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スピード・リオンというスポーツカーのような名前を持った花がある。
花の少ない8月下旬から咲き始め、花持ちの良いところから仏花や切り花として人気があり、花屋の店頭でよく見掛けるが、ある人から「なんでこんな奇抜な名前がついたのでしょう」と言われて調べてみた。北アメリカ原産のこの花は、現地では「亀」または」「蛇」の頭に似ると言うので「タートル・ヘッド」とか「スネーク・ヘッド」と呼ばれ、学名もChelone lyonii=ケロネ・リオニーと命名されている。ケネロ=ギリシャ語の「亀」、リオニー=スコットランドの植物学者に因むというから、同じイメージのネーミングである。我が国では一応「ジャコウソウモドキ」と名付けられているが、「これでは売れない」と判断した園芸業者が、ケロネ属では早咲きの種だから、本来は「アーリー・ケロネ」などと呼ぶべきを、語呂の良い「スピード・リオンで売り出すことにしたらしい。

そんな回答をしたら、「ギリシャ語やラテン語など小難しいことを調べるのは大変でしょう」と同情されたが、今は権威ある図鑑・辞典とインターネット検索を併用すれば訳はない。 特に学名については「植物学名大辞典」を入手してから殆ど苦労なしになったが、お世話になっているこの辞典を巡って、大勢の篤志家とそれを支えた方々の隠れたご支援があったことを知ったので、この際ご披露させていただこう。

元国鉄マンで京都在住のサボテン愛好家万谷幸男氏が、世界の植物の学名を編集すると言う大事業を企てて、独力で資料を収集していたが、1984年、志半ばにして癌で逝去された。その遺志を継いだのが尼崎の松居健二郎氏ほか5名の同志の方々である。 資金をカンパし、手弁当で2万5千語の原稿を推敲するのに苦心惨憺して10年の歳月を費やし、やっと出版に漕ぎ付けたのが1995年だったと言う。この大事業を陰で支えたもう一人の篤志家を忘れてはなるまい。 印刷を担当された西村印刷(株)社長西村春一氏である。この事業の精神的な支援者であり、隠れたスポンサーでもあった同氏は、度重なる原稿の改訂にも嫌な顔一つせず、辛抱をかさねて出版に漕ぎ付けられたと言う。

西村氏とは花の友を介して知り合い、たちまち意気投合して以来、花の探訪や同志がお世話をなさっている城南宮の源氏物語保存会のプロジェクトに参加させていただくなど濃密なお付き合いをさせていただいていたが、この辞典の出版に関わる挿話は、同氏もまた癌で倒れ、夫人から遺品として植物学に関する幾多の資料と共に遺贈を受けて初めて知った、 以来この書は図鑑類と共に座右に置き、片時も離すことのできない一冊として重用させていただいている。

奇しくも、この「スピード・リオン」の学名を検索した9月18日は、同氏の3回忌の命日にあたる。こんな北米の辺境の地味な野草まで検索できる「植物学名大辞典」の有用性と、それを完成させていただいた西村春一氏始め、これに関わっていただいた幾多の方々の陰徳をご報告させていただくため、筆をとった次第である。


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2013年9月19日 (木)

キハギ(万葉時代はハギが人気№1だった)

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万葉時代の人気№1の花は「ハギ」だったと言えば驚かれる方もあるだろうが、その方面の権威中尾佐助博士は著書「花と木の文化史」で、万葉集に詠われた花の頻度は、
  ① ハギ 138 ② ウメ 118 ③ 松 81 ④ 藻 74  ⑤ タチバナ 60 
  ハギの頻度は141・142とする資料もある
外来のウメを除けば、ハギとタチバナだけと言うのがちょっと寂しい。人気№1のハギにしても、飛鳥の地で見られるのは、ヤマハギ・マルバハギとこのキハギなど里山に咲く比較的おとなしい品種ばかりで、花の大きいケハギは日本海側に分布し、ケハギの園芸品種といわれるミヤギノハギはまだなかった筈なので、春の「観梅」となならんで、秋の花見と称された「萩狩り」も、随分地味な行事だったのではないだろうか。

蛇足かも知れないが、国語教師から「萩は峠などと同様に日本人が作り出した和製漢字の傑作で、日本人の感性の豊かさを示す好事例だ・・・」と聞かされていたのに、後日、「萩」は中国にあって「ヨモギ」を指し、ハギは「胡枝子」と表記すると知ってガッカリしたが、いま、こうして並べてみると「萩=ヨモギ」・「ハギ=胡枝子」よりも、「ハギ=萩」の方が感覚的にピッタリク来るように思える。
「青は藍より出て、藍より青い」の諺通り、日本人の繊細な感覚の方が一枚上と主張すれば、本家の中国は「盗人猛々しい」を反発して国際紛争の火種になりかねないので、この辺りでやめて置こう。 

私見だが、、華やかなミヤギノハギよりも、このキハギの方が余程好ましい。一見地味に思えるが、白地に赤紫色の斑がハッとするほど新鮮で、江戸前の小粋さとでも言おうか、浴衣の柄などにデザインすれば引き立つに違いないと密かに期待している。  どなたか手を染めて見ませんか。
 


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2013年9月16日 (月)

コミカンソウ・キダチミカンソウ(気になるコミカンソウ属の動向)

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目立つ花が少ない晩夏の観察会で、この草に出会うと「ホッ」とする。「ご覧ください。オジギソウにそっくりですね」「オジギソウと同じで、夕方になると葉を畳んで眠りますが、マメ科の植物ではありません」「それが証拠に葉を裏返して見ると、アラアラ…、橙色の小さなミカンそっくりの実が並んでいますね」「コミカンソウと言います」。これだけの演出で、観察会の雰囲気が和らぐから嬉しい。

ところが、シンガポール植物園で同じような説明をするガイドに出会って驚かされた。1989年京都商工会議所の東南アジア視察団に加えていただき、植物園を訪ねたとき、偶々出会ったのが中国系で日本留学が長かったという若いガイドさんだった。 山野草が好きという私を案内してくれたのは薬草園で、そこに生えているコミカンソウとよく似た野草を指して「ストーンブレーカー」ですと前置きして解説してくれた内容が私とそっくりで、最後の「葉を裏返すと、アラアラ、青いアップルが並んでいますね」と言うセリフだけが変わっているので思わず吹き出してしまった。この「ストーンブレーカー(和名をコダチミカンソウと言う)」は、石畳を割って生えるほどの生命力を持ち世界中に帰化しているが、現地では「マレーシアのハーブ」、中国では「小反魂」、インドのアーユルベーダ―では「プミアマラキー」と呼ぶ薬草で、黄疸・肝炎・胆石・腎臓結石ほかあらゆる内臓疾患とそれに伴う疼痛を押さえる効用があり、特にB型肝炎の治療効果が発見され世界が注目している薬草だと言う。

そんな経緯があって、コミカンソウ科コミカンソウ属の仲間をを調べてみると約1800種あり、インド洋周辺から世界中に勢力を拡大しつつあると言うのに、我が国には歴史以前に東南アジアから渡来したとされているコミカンソウ・ヒメミカンソウの2種のみで、その後ブラジルコミカンソウ(別名ナガエコミカンソウ)が都市部に定住しているだけで、気になるコダチコミカンソウが沖縄に留まって、未だ本州に上陸えあ果たしていないらしい。

「いや、もう渡来しているよ」と言う情報もあるらしい。 若し確認できたら、是非ご一報ください。

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