マテバシイ(現代版あすなろ物語)その2
幼稚園児の孫から電話がかかってくる。
我が家では、先ずおばあちゃんが出ることになっているので、私は黙って聞いている。
「遠足で、ドングリを拾ったよ」「よかったね。どんなドングリ?」
「あのね、大きいのと、細長いのと、ちっちゃいの」「大きいのがコナラで、細長いのがマテバシイ、ちっちやいのは、カシドン」と孫は一生懸命に説明するのだが、この辺りから話がこんぐらがってくる。
「マテバシイ、マテバシイ・・・」と何回繰り返してもおばあちゃんに通じないので、「おじいちゃんに代わってよ」と言うことになり、私の出番が回ってくると言う訳だ。
「マテバシイは食べられるよ」とおじいちゃん。「美味しい?」「美味しかったよ」・・・。
ここからは回想、
終戦の前後、子供は全員腹をへらしていたので、お寺の庭に落ちる椎の実は格好のおやつだった。風の吹いた日の翌朝などは起き抜けに駆け付けてもなかなか拾うことができなかったが、その奥のマテバシイは誰も食べられることを知らなかったようで、楽々と一人占めすることができた。
定年後、早池峰山に登る際に、日本で最後に電気通じたと言うタイマグラの山荘に泊まり、有名な「タイマグラばあちゃんの住いを訪ねた。ばあちゃんは既に他界されていたが、明治・大正・昭和をこの辺境で暮らし、度重なる大飢饉を、「食えるものは、なんでも食って生き延びた」というばあちゃんの料理は、山荘の若夫婦に受け継がれていて、手作りの味噌や冷凍ジャガイモ(凍みホド)料理は味わうことができたが、そのおばあちゃんが、唯一、二度と口にしたくないと言ったのは、水に晒したドングリを粉にして作る団子汁「しだみ」だったと言う。餓えたときに口にした食べ物の味は未だに忘れられないが、いま口にすれば果たしてどんな味がするだろうか。「待てば椎になれる」というマテバシイの実は、正直に言って、椎の実に及ばなかったような気がしている。
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