« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月29日 (日)

ハナハマセンブリ(この花を探しています)

Photo 地中海沿岸生れのこの帰化植物の観察記録を略記すると
1988年(昭和63年) 神奈川県で渡来が確認された
1998年(平成10年) 吹田・茨木市境付近で初見、以降場所を少しずつ移動死ながら株数を増やす 
(はじめはベニバナセンブリと誤認していたが、のちにハナハマセンブリと同定)
2004年(平成16年)前後、当地区で全盛
2007年(平成19年) 突然姿を消す
2010年(平成22年) 近所の民家で鉢植えされていたものも、姿を消す

大阪郊外の北摂は、帰化植物の宝庫で、特に名神高速道路、中央・近畿自動車道が交差する吹田・茨木両市の境を流れる大正川(一級河川)は、生活用水が流れ込んでかなり汚染しているにも拘わらず、思いがけない新顔の帰化植物やカワセミ・カルガモなどの鳥達との出会いが楽しめる場所だった。 今でも、汚水の中に絶滅危惧種とされているアサザが繁茂し、黄色い花を見せてくれるし、コゴメバオトギリソウ・イヌコモチナデシコ・ノハラナデシコなども、子の流域から北摂一円に広がった。
このハナハマセンブリを大正川の流域で見付けたのは、1998年(平成10年)で、関西では早い部類に入るかも知れない。 以来、毎年この花を追掛けて、可憐な花を楽しみ、川の堤がこの花に覆われることを夢見てていたのに、センブリの仲間特有の放浪癖からか、2007年を境に、突然姿を消し、付近の花好きの方々が、鉢に栽培されていたものも、逐次消えてしまい、6月の花時には相当広範囲に探し回っているが、一株も見つからない。
愛犬(猫)家ならば、写真を添えて「この犬(猫)探しています」と電柱に張り出すこともできるが、野草の広告はちょっと気恥ずかしいので、この場を借りてお願いします。
「北摂方面で、この花の咲く場所をご存知ありませんか」


趣味 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月20日 (金)

スピード・リオン(花にまつわる陰徳の記録)

Photo

スピード・リオンというスポーツカーのような名前を持った花がある。
花の少ない8月下旬から咲き始め、花持ちの良いところから仏花や切り花として人気があり、花屋の店頭でよく見掛けるが、ある人から「なんでこんな奇抜な名前がついたのでしょう」と言われて調べてみた。北アメリカ原産のこの花は、現地では「亀」または」「蛇」の頭に似ると言うので「タートル・ヘッド」とか「スネーク・ヘッド」と呼ばれ、学名もChelone lyonii=ケロネ・リオニーと命名されている。ケネロ=ギリシャ語の「亀」、リオニー=スコットランドの植物学者に因むというから、同じイメージのネーミングである。我が国では一応「ジャコウソウモドキ」と名付けられているが、「これでは売れない」と判断した園芸業者が、ケロネ属では早咲きの種だから、本来は「アーリー・ケロネ」などと呼ぶべきを、語呂の良い「スピード・リオンで売り出すことにしたらしい。

そんな回答をしたら、「ギリシャ語やラテン語など小難しいことを調べるのは大変でしょう」と同情されたが、今は権威ある図鑑・辞典とインターネット検索を併用すれば訳はない。 特に学名については「植物学名大辞典」を入手してから殆ど苦労なしになったが、お世話になっているこの辞典を巡って、大勢の篤志家とそれを支えた方々の隠れたご支援があったことを知ったので、この際ご披露させていただこう。

元国鉄マンで京都在住のサボテン愛好家万谷幸男氏が、世界の植物の学名を編集すると言う大事業を企てて、独力で資料を収集していたが、1984年、志半ばにして癌で逝去された。その遺志を継いだのが尼崎の松居健二郎氏ほか5名の同志の方々である。 資金をカンパし、手弁当で2万5千語の原稿を推敲するのに苦心惨憺して10年の歳月を費やし、やっと出版に漕ぎ付けたのが1995年だったと言う。この大事業を陰で支えたもう一人の篤志家を忘れてはなるまい。 印刷を担当された西村印刷(株)社長西村春一氏である。この事業の精神的な支援者であり、隠れたスポンサーでもあった同氏は、度重なる原稿の改訂にも嫌な顔一つせず、辛抱をかさねて出版に漕ぎ付けられたと言う。

西村氏とは花の友を介して知り合い、たちまち意気投合して以来、花の探訪や同志がお世話をなさっている城南宮の源氏物語保存会のプロジェクトに参加させていただくなど濃密なお付き合いをさせていただいていたが、この辞典の出版に関わる挿話は、同氏もまた癌で倒れ、夫人から遺品として植物学に関する幾多の資料と共に遺贈を受けて初めて知った、 以来この書は図鑑類と共に座右に置き、片時も離すことのできない一冊として重用させていただいている。

奇しくも、この「スピード・リオン」の学名を検索した9月18日は、同氏の3回忌の命日にあたる。こんな北米の辺境の地味な野草まで検索できる「植物学名大辞典」の有用性と、それを完成させていただいた西村春一氏始め、これに関わっていただいた幾多の方々の陰徳をご報告させていただくため、筆をとった次第である。


趣味 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月19日 (木)

キハギ(万葉時代はハギが人気№1だった)

Photo

万葉時代の人気№1の花は「ハギ」だったと言えば驚かれる方もあるだろうが、その方面の権威中尾佐助博士は著書「花と木の文化史」で、万葉集に詠われた花の頻度は、
  ① ハギ 138 ② ウメ 118 ③ 松 81 ④ 藻 74  ⑤ タチバナ 60 
  ハギの頻度は141・142とする資料もある
外来のウメを除けば、ハギとタチバナだけと言うのがちょっと寂しい。人気№1のハギにしても、飛鳥の地で見られるのは、ヤマハギ・マルバハギとこのキハギなど里山に咲く比較的おとなしい品種ばかりで、花の大きいケハギは日本海側に分布し、ケハギの園芸品種といわれるミヤギノハギはまだなかった筈なので、春の「観梅」となならんで、秋の花見と称された「萩狩り」も、随分地味な行事だったのではないだろうか。

蛇足かも知れないが、国語教師から「萩は峠などと同様に日本人が作り出した和製漢字の傑作で、日本人の感性の豊かさを示す好事例だ・・・」と聞かされていたのに、後日、「萩」は中国にあって「ヨモギ」を指し、ハギは「胡枝子」と表記すると知ってガッカリしたが、いま、こうして並べてみると「萩=ヨモギ」・「ハギ=胡枝子」よりも、「ハギ=萩」の方が感覚的にピッタリク来るように思える。
「青は藍より出て、藍より青い」の諺通り、日本人の繊細な感覚の方が一枚上と主張すれば、本家の中国は「盗人猛々しい」を反発して国際紛争の火種になりかねないので、この辺りでやめて置こう。 

私見だが、、華やかなミヤギノハギよりも、このキハギの方が余程好ましい。一見地味に思えるが、白地に赤紫色の斑がハッとするほど新鮮で、江戸前の小粋さとでも言おうか、浴衣の柄などにデザインすれば引き立つに違いないと密かに期待している。  どなたか手を染めて見ませんか。
 


趣味 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月16日 (月)

コミカンソウ・キダチミカンソウ(気になるコミカンソウ属の動向)

Photo

目立つ花が少ない晩夏の観察会で、この草に出会うと「ホッ」とする。「ご覧ください。オジギソウにそっくりですね」「オジギソウと同じで、夕方になると葉を畳んで眠りますが、マメ科の植物ではありません」「それが証拠に葉を裏返して見ると、アラアラ…、橙色の小さなミカンそっくりの実が並んでいますね」「コミカンソウと言います」。これだけの演出で、観察会の雰囲気が和らぐから嬉しい。

ところが、シンガポール植物園で同じような説明をするガイドに出会って驚かされた。1989年京都商工会議所の東南アジア視察団に加えていただき、植物園を訪ねたとき、偶々出会ったのが中国系で日本留学が長かったという若いガイドさんだった。 山野草が好きという私を案内してくれたのは薬草園で、そこに生えているコミカンソウとよく似た野草を指して「ストーンブレーカー」ですと前置きして解説してくれた内容が私とそっくりで、最後の「葉を裏返すと、アラアラ、青いアップルが並んでいますね」と言うセリフだけが変わっているので思わず吹き出してしまった。この「ストーンブレーカー(和名をコダチミカンソウと言う)」は、石畳を割って生えるほどの生命力を持ち世界中に帰化しているが、現地では「マレーシアのハーブ」、中国では「小反魂」、インドのアーユルベーダ―では「プミアマラキー」と呼ぶ薬草で、黄疸・肝炎・胆石・腎臓結石ほかあらゆる内臓疾患とそれに伴う疼痛を押さえる効用があり、特にB型肝炎の治療効果が発見され世界が注目している薬草だと言う。

そんな経緯があって、コミカンソウ科コミカンソウ属の仲間をを調べてみると約1800種あり、インド洋周辺から世界中に勢力を拡大しつつあると言うのに、我が国には歴史以前に東南アジアから渡来したとされているコミカンソウ・ヒメミカンソウの2種のみで、その後ブラジルコミカンソウ(別名ナガエコミカンソウ)が都市部に定住しているだけで、気になるコダチコミカンソウが沖縄に留まって、未だ本州に上陸えあ果たしていないらしい。

「いや、もう渡来しているよ」と言う情報もあるらしい。 若し確認できたら、是非ご一報ください。

趣味 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月12日 (木)

オオベンケイソウ・ベンケイソウ(花の盛衰)

Photo
(上)オオベンケイソウ (下)ベンケイソウ

花にカメラを向けていると、小学校4~5年生と思われる一団が通り掛かり、「何という花?」と聞くので「ベンケイソウだよ」と答えたが、「ふぅん」と言うだけで反応がない。「牛若丸と弁慶の話は知っているか」と聞いても、首を振るばかりで、会話は途絶えてしまった。

戦前の強さの象徴であり、スーパーヒーローだった「弁慶」の凋落は激しいようで、「弁慶の泣き所」「内弁慶の外地蔵」「弁慶の立往生」など、日常頻繁に使われていた諺も死語に近い。 僅かに、
 弁慶も小町もバカだなぁカカア
と言う古川柳のバレ句だけが、生き残ったようだ。

それと並行して、ベンケイソウの仲間も滅多に見掛けない花になってしまった。今、町で見掛けるベンケイソウは次の3種である。
① オオベンケイソウ・・・関西に多い 他に比べて一回り大きく、華も派手、3葉性
② ベンケイソウ(中国名:景天)・・・花は白桃色、葉は対生、腫れ物・切り傷の民間薬
③ ベンケイソウ(在来種)・・・花は淡紅色、葉は互生、本州中部以北・北海道に分布
他に、ミツバベンケイソウ・ムラサキベンケイソウなどがあるが、インターネットで検索してみても映像・資料共にかなり混同があるようだ。

Photo_2


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月11日 (水)

コヒルガオ・ヒルガオ(機械化を利用して勢力拡大)

Photo_3

柳宋民氏の著書で面白い記事を見付けた。

(要旨)アサガオと同じようにコヒルガオ・ヒルガオ(以下単にコヒルガオとする)を品種改良したら、朝は朝顔を楽しみ、昼は色とりどりのコヒルガオを見ることが出来ると思い付いた。 ところがコヒルガオは結実しない。交配して種が採れなければ、品種改良も先ずできないので、あきらめた。   「柳宋民雑草ノオト」p118

この記事は多少補足しなければなるまい。コヒルガオは不稔でなく、自家受粉では実を結ばない自家不和合性の植物である。 他の株の花粉を受けて時々実を結ぶし、コヒルガオとヒルガオが交配して雑種ができることもあるらしい。しかし、頑迷牢固と言うか、余程保守的な種のようで、先祖の姿形を継承して殆ど変異が見られない。子孫繁栄に支障はないかと心配になるが、良くしたもので、家庭菜園の経験のある方はご存知のとおり、地上部を毟られても、蔓を千切られても、切り株や蔓の断片が再生するので、田畑の強害雑草として忌み嫌われている。

更に、最近では土木機械や耕耘機・草刈機など文明の利器を味方に付けて子孫繁栄を図っているのだから恐れ入る。鋤や鍬で土地を耕し、人手で除草していた頃は、一株ずつ根っ子を引き抜いて根絶やしにしていたのに、今は草もろとも鋤き込み、草刈機は地上部だけを刈り込む。結果は言うまでもない。大規模農場ではトウモロコシ・大豆などの成長期とコヒルガオのそれが合致して大繁殖し、茶畑や公園・マンションなどの植込みでは、植木に覆いかぶさって、我が物顔に花を咲かせるという事になる。


趣味 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月10日 (火)

ヒルガオ(見直して欲しい万葉のトップスター)

Photo_2

万葉時代、この花は貌花(かおばな)と呼ばれて持て囃されていたと言う。貌花は美しい花の総称で、花中の花、並みいる野の花の中でトップスターの扱いを受けていたと言って過言ではないだろう。それを如実に示すのが、大伴家持が婚約者の坂上大嬢(さかのうえのいらつめ)に贈ったこの歌である。

  高円の野辺の貌花面影に見えつつ妹は忘れかねつも

ちょうどその頃に強烈なライバルが現れた。薬用として中国から招来された牽牛子である。上流階層の新しいもの好き、ハイカラ好みは昔も今も変わらない、朝に開いて日が昇ると萎む儚なげな花ということで「アサガオ」と呼んで珍重され、在来のザ・貌花は「ヒルガオ」と名を変えさせられてトップスターの座から降り、唯の野の花として歌に詠まれることも少なくなってしまった。
近世になって、この花に注目したのは、意外や意外、情熱の歌人与謝野晶子である。 

 ひるがほは何処に見ても我が脱ぎし衣と覚えてあわれなつかし
 遠方のものの声より覚束なみどりの中のひるがほの花
 あわれともあじけなしとも恋しとも言いたげなりやひるがほの花
 木の下に雨を覗けりなつかしき爪の色なるひるがほの花

晶子はヒルガオにアメフリバナの異名のある事を知っていたのだろうか。祇園の夜桜を詠ったような華麗な妖艶さはないにしても、可憐な中にどことなく色っぽさを秘めたヒルガオの風情を詠み込んだ秀歌としてかねかね愛唱している。 ともあれ、ヒルガオはもう一度見直していただきたい身近な野の花の一つである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 8日 (日)

オサバグサ(56年目の出会い)

Photo
この花を知ったのは、戦後暫くして大阪で開催された「日本アルプスの花」写真展だった。ほの暗い針葉樹林の下で、純白の可憐な花を下向きに咲かせる姿に魅せられて、なんとしても出会いたいと思った。

信州の山を歩くようになって、オサシダによく似た特徴のある葉は直ぐに見分けがついたが、花に出会えない。 5月では早過ぎて花茎が立ちあがっていないし、梅雨の明けるのを待ち兼ねて出掛けると、花はとっくに終わっている。 夏の休暇で仕事仲間の桧枝岐の実家を訪ねた時など、裏山に広がる花期を終えたばかりの大群落を眺めて切歯扼腕したことだった。

「逢えそうで逢えないのは、まるで往年のメロドラマ『君の名は』だね」などと、カビの生えそうな冗談を飛ばしていたが、平成17年に二度目の早池峰山を目指した際、民宿のご主人から「早池峰山の向かいの薬師岳のオサバグサがちょうど満開です」と聞いて、矢も楯もたまらずスケジュールを変更して出掛けて撮影したのが、上の写真である。(オサバグサの花期は短い、この時も1~2日遅く、散り始めていた) 見初めて思いを遂げるまで56年掛かったことになる。
オサバグサは1属1種、ケシの仲間で貴重な日本の固有種である。

時間に制限の多い素人の愛好家にとって、「逢いたくて逢えない花」多いことだろうが、私の場合も、梅雨時に白馬岳山頂に咲くツクモグサなど81歳のこの歳まで逢うことが出来ず、とうとう幻の花になってしまった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年9月 7日 (土)

ミズタマソウ(白露の日の花)

Photo_3
9月7日は二十四節気の白露、この日にふさわしい花はなんといってもミズタマソウだろう。早朝か小雨の日に、この草に出会うと、緑の実につく白露が息を飲むほど美しい。 そのミズタマソウを巡って、ちょっとしたオカルテックな体験があるのでご報告させていただこう。
3年前の八月末に能勢妙見山の向かいの高代寺山でミズタマソウを撮影して帰り、9月4日に「小さい秋見付けた」と言う副題を付け「花便り」として発信したところ、一家言ある花の友から「同じことなら、実に水玉のついた写真が欲しいね」と言うメールが返ってきた。 ちょっと鼻白んで、「それは次の機会に・・・」と生返事していたら、なんと4日後に想いか叶って驚いた。
偶々、9月8日(白露の日)に亀岡市の友人の病気見舞いをした帰りに、旧亀山城址にある大本教花明山植物園を訪ねたところ、園の入り口にミズタマソウが折からの小雨に濡れながら出迎えてくれているではないか・・・。その時に撮影したのが、この写真である。
花ウォッチングに限らず、一事に熱中していると、時々思い描いていることが思い掛けなく叶えられる体験があるが、こんな短時日に成就したことは珍しい。「妙見さん」と「大本教さん」のご加護かも知れない。

Photo_4


| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »