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2008年5月23日 (金)

ヤマブキソウ「山吹・燕の目薬・疣ころり」

Photo 金剛山の山頂近く、ダイアモンド・トレイルの側道で黄金色の花を撒き散らしたようなヤマブキソウの大群落に出会い思わず歓声をあげた。総じて群れて咲くが、近畿県内では伊吹山・霊山など石灰岩質の山以外で、これほどの群落は珍しい。

さて、この花の特徴を列記すれば、「山吹」「燕の目薬」「疣ころり」と、落語の三題噺めくが、解説させていただくと、

①「山吹」・・・言わずとしれたバラ科のヤマブキそっくりで、ヤマブキが5弁、ケシ科のヤマブキソウが4弁の相違があるが、花から葉の形までよく似ているので、「ヤマブキソウ」以外のネーミングは思い浮かばないだろう。              Yamabukisou

②「燕の目薬」・・・欧米では同属の花を「スワロー・ウォード」と呼ぶらしい。 燕は飛びながら微小な虫を捕える視力抜群の鳥だが、親鳥が子育て中に、この草の黄色い乳液で目を洗い、視力を向上させるといわれていると聞いたことがある。

③「疣ころり」・・・中国・日本では、この草の汁が、「疣」「魚の目」をとる秘薬とされてきたらしい。

いずれにしても、ケシの仲間なので全体にアルカロイドを含むので、毒にもなれば薬にもなると言うことだろう。 

なお、種子に種枕(エライオソーム)を持ち、カタクリやスミレなどと同じように蟻によって種子が散布されることでも知られている。

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2008年5月21日 (水)

ヤマトグサ(日本の植物学史を飾る花)

Photo 一見何の変哲もなく、ただの雑草としか思えないこの花が、我が国の植物学の黎明期を飾る歴史的な植物だと話と、驚く方が多いが、日本特産の植物に日本人がはじめて学名をつけ、世界に発表した植物だと言えば、しぶしぶながら納得してくださる。

江戸時代の中期あたりから、日本の植生が豊かで、ユニークな植物の多いことが知られ、欧米のプラントハンターや植物学者が競って来日し、学会へ紹介したため、日本の著名な特産種の命名者は全部外人で、その流れは明治の中期まで続いた。

それを断ち切ったのは、日本の植物学の父といわれる牧野富太郎博士である。      Photo_2

明治23年、牧野博士は大久保三郎氏と共に、1属に世界で4種しか見ることができないというこの植物を発見して、Theligonum japonicum Okubo et Makino の学名を付け、併せて「大和草」という和名を発表した経緯は、同氏の自叙伝ならびに伝記に、誇らしげに述べられている。

そのヤマトグサは金剛山に多い。

草丈20cm前後、花に花弁はない。雌花は茎の脇につくが小さくて目立たず、雄花の白い雄しべの「やく」が髪飾りの様に垂れ下り、風に吹かれて花粉を撒き散らす様子は稲の花穂に似ている。

ヤマトグサは、風媒花である。

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2008年5月15日 (木)

サンカクイ(別名 しりくさ・鷺の尻刺しの由来)

Photo サンカクイ(三角藺)が花を付けた。 この草は日本全国の河川敷や泥湿地に生えるが、茎の断面が三角形であることを除けば、さしたる特徴もないので、注意して見る人も少ない。

この草が、「しりくさ」の名で万葉集の相聞歌に詠みこまれていると知り驚いた。

水門葦にまじれる草のしりくさの人みな知りぬわが下思いは

解説を必要としない解り易い歌だが、なぜサンカクイがシリクサと呼ばれたかを知るためには、もう一つの名が「サギノシリサシ=鷺の尻刺」と言うだけでは不十分で、上の写真を見て、花の苞葉が抜き身のナイフのように尖っていることを知らなければ、判じ物のようで見当もつかない。

尖った苞が鷺の尻を突き刺しそうに鋭いというので「サギノシリサシ」の名が付けられ、それが簡略化させて「シリクサ=尻草」となり、「尻」が「知り」の転用されて、歌に詠まれたというわけである。

平凡な草の形状を綿密に観察して相聞歌に詠み込んだ古代人の感性の鋭さとユーモア感覚の豊かさには、ただただ「おそれいりました」と頭を下げざるを得ない。

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2008年5月12日 (月)

ヤブヘビイチゴ(野草とのお隣付き合い)

Photo_5  ゴールデン・ウィークの最終日、ご近所の子供連れも、お年寄りまでもが車で颯爽とお出かけになるのを見送ったあと、カメラを担いで自宅の周りをうろうろするのは、あまり格好がよいとは言えないが、今年は徹底して近所の花と付き合うことに決めているので気にならない。

先ず、自宅から徒歩3分の最寄りのフィールドに顔を出す。

この猫のほどの田圃と小さな池の周辺は、砂漠の中のオアシスのように、宅地開発に追われて逃げ込んできた草達の溜まり場になっていて、それに帰化植物が加わって、正月を過ぎる頃から秋が終わるまで、花が絶えることがない。 そこではダーウィンの進化論の適者生存の論理よりも、今西錦司博士が提唱する「棲み分け理論」相応しいのではないかと思えるほど、それぞれの植物が小さなコロニーを作って共生している。         Photo_6

季節が移って、いまは可憐なスミレは他の草のしたに隠れ、春の七草ホトケノザ(コオニタビラコ)の花も終わり、カラスノエンドウの鞘が大きく膨らんでスズメ。ムク・ドバトが競うように草の実を啄ばんでいる。                                      

ヘビイチゴとやヤブヘビイチゴが並んで、早くも赤い実が熟している。 両者の見分け方などと野暮なことは言うまい。 果実が赤くなるヤブヘビイチゴ属はこの2種類しかないうえ、ヤブヘビイチゴの方が花も葉も果実も3倍ほど大きいので間違いようがない。

ところで、子供の頃にヘビイチゴの果実には毒があるといわれて、未だに信じている人があるらしいが、バラ科の果実に毒はないと聞いて、こっそり試食してみたが、毒はないは味は素っ気なかったことを告白しよう。

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ヤエザクラ・普賢象(あと何回の花見やら・・・)

Photo 後期高齢者の保険証が届いたり、突然の訃報や思い掛けない親友の入院通知が続いたり、そのうえ山田風太郎の随筆「あと千回の晩飯」を読み、3年で彼の逝去の年齢に達すると知って、柄にもなく弱気になり、「あと何回花見ができるやら・・・」との思いに駆られて造幣局の通り抜けに出掛けた。

例年、花時と開催期間がうまくマッチせず、大半が未開花だったり、花が盛りを過ぎていたりするが、今年は運良く噛み合って、日頃余り見ることができない遅咲きの品種まで咲き揃っていて、今年の花「普賢象(写真上)」や「菊桜(写真下)」など、豪華絢爛たる八重桜の魅力を堪能することができた。                              Photo_2

昭和40年の前半に天満で4年余勤務していた頃にも、よく訪ねたが、そこ時よりも品種が飛躍的に増え、樹も円熟期を迎えているのが嬉しい。 ただここの桜のコレクションに功績のあった笹部新太郎氏に因む「笹部桜」や現代の桜守佐野藤右ェ門の名をとった「佐野桜」など早咲きの花が散り果てていたのが残念で「来年こそは・・・」と思いを残して帰ってきたが、「あと何回の花見・・・」などと落ち込むよりは、少しましかも知れない。

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2008年5月 9日 (金)

トチノキ(マロニエ礼賛に一言・・・)

Photo トチノキの花が盛りを迎えた。

白地に薄い紅色が差した大きな花穂にカメラを向けていると、通りかかったご婦人が「あっ、マロニエ、まるでパリみたい・・・」と歓声を上げたので、「マロニエではなく、日本産のトチノキです」と言わずもがなの説明をすると、とたんにプィと横を向き、「そぅ」と言い捨てて、通り過ぎた。話の腰を折られたのが不満だったのか・・・と気が付いた後の祭りだった。

トチノキはミズナラ・カエデなどとともに我が国のブナ樹林を構成する木で、山を歩いていると土壌が豊かで水分の多い沢沿いなどで、見上げるような巨木に出会って驚くことがある。

今では、土産物の栃餅に加工されるほか良質の蜂蜜が採れることで知られている程度だがが、果実が保存食となるので、歴史以前から日本人の暮らしを支える木として大事にされ、周りの木が切られても残された。

枝がよく張り、大きな葉が緑陰をつくるので、公園樹・庭園樹・街路樹としてもっと利用して欲しいと思うのに、街ではあまり出会うことがない。                           Photo_2

写真で見る通り、マロニエに優るとも劣らない見事な花が咲くのに、なぜだろうと園芸業者に聞いてみると、「マロニエの方が人気が高いから・・・」という一点に尽きるという。マロニエは新興住宅地の街路樹としてはハナミズキとならんで、特にご婦人方に圧倒的な人気があるらしい。

今日(平成20年5月9日)の朝日新聞「天声人語」は、吉田兼好の「徒然草」の記述を引用して「遠きものを宝せず」と洋物礼賛の風潮を戒めているが、「せめて街路樹ぐらいは、国産の名木を植えて欲しい」と提案する次第であるが、おそらくその声が届くことはあるまい。

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2008年5月 8日 (木)

ナニワイバラ(浪速の名が付くオールド・ローズ)

Photo_3                                    今年もナニワイバラの花が盛りを迎えた。

大阪の花文化は、残念ながら非常に貧弱で、植物図鑑を繰ってみても「大阪」または「浪速」と名が付くのはこの花しかない。

(ジンチョウゲ科にナニワズと言う木があるが、浪速に由来するネーミングではなさそうだし、梅に「難波紅」があるが園芸品種名である)

ナニワイバラの由来は、江戸時代に中国から浪速にもたらされて、ここから広がったからだというが、和歌山県はじめ関西のあちらこちらに野生種がみられるので、我が国原産説も根強い。

中国・台湾・ヒマラヤ・ブータンのほかに北米にも隔離分布していて、ジョージァ州ではCherokee roseと呼ばれ、州花として親しまれているらしい。                  Naniwaibara2_2

終戦直後に、どういう経緯があったのか忘れたが、焼け跡に植え付けた株が大繁殖して美しい花をつけ、殺伐とした雰囲気と和らげる役目を果たして喜ばれた記憶があるが、性質は強健で、耐寒性・耐暑性に優れ、病虫害にも強いのに普及しないのは茎・葉など全身を覆う棘が原因だと思われる。棘は一見さしたることはなさそうだが、ちょっと触るだけで、飛び上がるほど痛い。 そのうえ、蔓が剛直で、はみ出した枝を撓めるのにも悪戦苦闘させられる。

さすが浪速の名の付くお嬢さんだけあって、優しそうに見えて一筋縄ではどうにもならない。

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2008年5月 7日 (水)

エイザンスミレ(叡山で見掛けず箱根で出会った)

Photo_2 日本特産種。 最初比叡山で発見されたのでエイザンスミレの名が付いたときいているので、比叡山を歩く都度心にかけているが未だに出会えず、4月下旬箱根を周遊した際に、箱根の関所資料館の前で見つけた。

図鑑や資料によれば、本州・四国・九州の太平洋側の低山に分布するとあり、事実東京・名古屋在住中には関東・東海地方でよく出会った記憶があるのに、大阪に定住してみると、六甲山系では見ることがなく、近畿一円の里山でもヒゴスミレの方が多く、エイザンスミレがはるかに少ないような印象がある。 別名をエゾスミレというから、分布が北に偏しているのかとも思う。 どんなものかご教示願いたい。

花は2cm、花色は淡紅色から白色で、花芯に紫色の筋があって、小粋な感じがするので山野草愛好家の間でも人気があるらしく、変種(?)のシロバナエゾスミレ・ヒトツバエゾスミレ・ナルカスミレなどともに展示されているのを見掛ける。

スミレ共通の性癖だが、シハイスミレ系・ヒゴスミレ系のスミレを雑交するらしく、花の色や葉の欠刻にも変異が多く、往々にして同定し難いケースがある。 

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