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2007年5月20日 (日)

シナアブラギリ(唐傘・提灯・絵具の油材)

Siaaburagiri_1 明智光秀が織田信長を襲った時に越えた京都の桂から亀岡に至る国道9号線の老ノ坂で美しい花を咲かせたシナアブラギリに出会い、小学校時代の友人の顔が思い出され、しばし感慨に耽った。

友人の綽名は「傘屋の新ちゃん」で、その家を訪ねると、職人のお父さんが、1年中黙々と傘や提灯を張っていた。骨を組み立てること自体が、子供心に手品のように思えたが、それに和紙を張り、紋様を描いて文字を書き入れる。 最後の工程で油を引いて仕上げるが、それが桐油だった。 桐油は乾性油なので、暫く置くとパリッと乾く。 新品の唐傘を始めて開くときの、パリパリと音を立てる快い感触と桐油独特の匂いを思い出せる人も少なくなった・・・。 その桐油はアブラギリから採れるが、同じ中国渡来のシナアブラギリ(オオアブアギリ)の方が、より上質な油が採れると聞かされた。古来、絵具の顔料を溶くには桐油が最適とされ、世界最古の画材油としても珍重されたらしい。

戦前は、和歌山県や九州が主産地で、各所で盛んに栽培されていたが、戦後は需要の低下と中国からの安価な輸入品に押されて、見捨てられた。

シナアブラギリの種子は軽くて水に浮き、生まれ故郷の揚子江の上・中から流れ出し、海に出て、台湾・インドネシア・ミャンマーなどに流れ着き、そこで繁栄している。 わが国でも沖縄や日本海沿岸にしばしば漂着することが確認されているし、遠くはアメリカのフロリダ海岸でも発見されたと言うから驚く。

老ノ坂の1本のシナアブラギリが、どう言った経緯でここに住み着いたのだろうか。

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コメント

過去にシナアブラギリが和歌山県で栽培されていたという記事に驚きました。 と言うのも私は2年前に日高地方の山間部、椿山ダム近くの藤棚で珍しい花の咲く木を見つけ その付近の人に木の名前を尋ねてみましたが分かりませんでした。そして今年、ウェッブで調べて やっと この木の名前が判明しました。 私は有田地方に住んでいますが このような木を見掛けたことがなかったのです。名前が判って後、印南町や日高川町の奥地では所々で見かけます。 言われてみれば海南市は和傘の産地として有名でした。傘の防水用の油に使ったと聞けば近郊で栽培されていたという事も納得できます。

投稿: トシやん | 2007年8月23日 (木) 15時13分

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投稿: LOTTIEKent27 | 2012年1月29日 (日) 21時11分

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