« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月29日 (土)

ヤマユリ(世界に誇る日本の特産種)

Yamayuri 近畿地方でユリと言えばササユリを指すが、関東地方では断然ヤマユリである。

ササユリの可憐な風情を「京女」に例えれば、ヤマユリは「東男」と言うことになるが、背丈は2mに達し、1株の花数は十数個、花の直径20~25cmで、強烈な香りを放つ、その豪放な咲きっぷりは、坂東武者さながら・・・、日本が世界に誇る特産種でもある。

世界のユリ属は96種、うち日本は僅か15種に過ぎないが、観賞価値の高さでは世界随一と言われている。

1861年にイギリスに紹介された時は、それまでマドンナ・リリーなど中輪のユリしか知らなかったヨーロッパの人々を驚嘆させたようで、1873年にウィーン万博に展示されて人気は頂点に達した。

以来、品種改良の母種として珍重され、現在数百種に達する大型のユリ(例えばカサブランカなど)は、ヤマユリがなければ生まれなかったと言う。

わが国では縄文時代以前からの貴重な食材で、叡山百合・吉野百合などの呼称からして、以前は近畿地方にも広く見られたらしいヤマユリは、漸次分布域を狭めてはいるものの、乱獲に耐えて今に生き残り、山野を彩る逞しさは驚異に値すると言っても過言ではないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月28日 (金)

セリ(鴨と芹とは二世の縁)

Seri_1 梅雨の晴れ間を縫うようにして田圃に出て、セリの花を撮影した。「酔狂な…」と笑われるかも知れないが、花はこの時期でないと見られない。

昔、中国では2月1日(旧暦)を「踏青節」と言い、ご馳走やお酒を携えて、一日野原で遊ぶ習慣があったと言われているが、我が国でも万葉集・古今集・新古今集などの古歌にあるとおり、中国の故事に倣う、ナウくて、重要なイベントだったに違いない。 百人一首の

君がため春の野にいで若菜摘む我が衣手に雪はふりつつ   光孝天皇

からも、往時の大宮人が、まだ雪のちらつく野に出て、「セリ・ナズナ・オギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草」と口ずさみながら、若菜を摘む風情が偲ばれる。 春の七草の筆頭に挙げられることでも解るが、セリとミツバは我が国最古の香味野菜で、早くから栽培され、「島根みどり」「松江むらさき」「飯野川」など水ゼリ系の品種が知られているが、香りと歯応えは、早春の野に張り付いて生える「田ゼリ」に及ばない。

なべ焼きの鴨と芹とは二世の縁

と言う、粋で生唾がでそうな江戸川柳を思い出すが、若い頃に山スキーを終えて泊まった但馬の温泉宿で、笊一杯に盛り上げた早採りのセリをふんだんに使って食べたすき焼きの味が忘れられない…などと、撮影したセリの花の写真を整理しながら、心が食い気の方へ走ってしまい、「所詮、私は花より団子の徒」と思い知らされた。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006年7月24日 (月)

イエライシャン(懐かしい恋の花)

Ieraisyann_1 京都の友人から「京都植物園のイエライシャンが咲いたよ」との連絡を受けて出掛けた。 この写真を見て、「あれ?イエライシャンは白い花ではなかったの…」と思う方はかなりの年配である。

戦前・戦後の世代には、李香蘭(山口頼子は戦後の呼称)が唄う「夜来香(中国語でイエライシャンと読む)」が、耳に焼き付いている。

あわれ春風に 嘆く鶯よ 恋に切なくも 匂うイエライシャン この香りよ (中略) イエライシャン白い花 イエライシャン恋の花 胸痛く 歌哀し                     Ieraisyann_2

実は、イエライシャンと呼ばれる花には3種ある。

① 夜来香(テロスマ)ガガイモ科 熱帯インド・インドシナ    原産

② 月下香(チューベローズ)リュウゼツラン科 メキシコ原産(?)

③ 夜香木(ケストルム)ナス科 西インド諸島原産

白い花は咲くのは「月下香」と「夜香木」だが、香りは断然「夜来香」で、ユリに似た香りは夜になると一段と強くなり、夜半には更に高まって、沈香のような幽玄かつ神秘的な香りを放つと言われて、香水になるほか、東南アジアや中国では、スープに散らしたり、サラダに混ぜて香りを楽しむ食習慣があるらしい。 星に似た形で黄味を帯びた花も美しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月21日 (金)

キキョウ(咲くときポンと言いそうな)

Kikyouききょうの花咲くときぽんと言いそうな     加賀千代女

加賀千代女は元禄生まれの伝説の俳人で、「朝顔に釣瓶とられて貰い水」「ほととぎす郭公とて明けにけり」「起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな」など人口に膾炙した名句(うち、「郭公」「蚊帳」の句は本人の作かどうか疑わしい)が、あるが、私は童心丸出しで、稚拙とも思えるキキョウの句が好きで、日ごろ愛唱しており、花を撮影するたびに口ずさんでいる。     Kikyou_1  

 桔梗(きっこう)や高嶺に戻る夜明け雲  望月たかし

は、日本アルプスへ登るべく、夜行列車を降りて、長いアプローチを歩き出す頃に見た信州高原の心象風景である。

キキョウは、東アジア特産の名花で、戦前戦後は里山の草刈場・カヤ場などで普通に見ることができたが、生活習慣の変化と乱獲によって急激に衰退し、環境省絶滅危惧種〔Ⅱ類〕(VU)に指定されて、野生種の100年後の生存率は僅か1%と言うから、寂しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月16日 (日)

ヨウシュヤマゴボウ(永井荷風「葛飾土産」より)

Yousyuyamagobou_4

永井荷風の「葛飾土産」のこんな一節がある。

「山牛蒡の葉と茎と、その実の霜に染められた臙脂色の美しさは、去年の秋わたしの初めて見たものである・・・」

戦災で旧宅と膨大な書籍を失った荷風は、失意の身を市川の知人の宅に身を寄せ、江戸 川の河川敷などを散歩していて、この草を見付けたものだろうが、老いてなお好奇心旺盛な荷風の面目躍如と言ったところである。

しかし、荷風がもう少し観察を継続して、この写真のように、白い花を一杯つけた花穂が、緑濃い実に代わり、秋に臙脂色に熟す全過程と、その日本離れした造形美をつぶさに見ていたら、もっと驚き、日誌も虹彩を放っただろうに・・・と、惜しまれる。           Yousyuyamagobou_5

北アメリカ原産のこの草は、明治の初期に渡来したと言うが、蔓延したのは太平洋戦争後で、サツマイモやカボチャを作っていた焼け跡の畑に突如顔を出し、肥料不足でヒョロヒョロしている作物を尻目に、あれよあれよと言う間に私の背丈を越え、奇妙な花穂に花を付け、たわわに実をつけたことを思い出す。

今では都会の造成地や放棄畑・無住の人家の庭など所構わず、肥沃な場所では2mを超えるほど繁茂するが、道端などでは僅か20~30cmで花を咲かせて、実をつけるほどしたたかで生命力抜群の雑草である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

アキノエノコログサ(スズメの大好物)

Akinoenokorogusa このところ、毎朝スズメに起こされている。

朝の5時を過ぎると屋根に10羽近くが集まって、「パンを頂戴」と一斉に騒ぎ立て、貰うまで啼きやまない。坪庭に餌をまくと、網戸から30cmの距離まで近寄ってくるので、朝食をとりながらスズメの行動を観察するのが日課になっている。

巣立ちの時期を終わって、子スズメ達も一人前に、親鳥を押しのけるようにして、パンを啄ばむ。親子が同じ体形をしているが、子スズメの方が、僅かに羽毛の色が薄く、目の下の黒班が灰色がかっているので見分けられるのをご存知だろうAkinoenokorogusa_1 か。

スズメ達は、大騒ぎした後、一斉に飛び立って向かうのは近くの造成地である。そこでは、ちょうどアキノエノコログサの穂が熟し始めた。パン食のあとの「口直し」だろうが、写真のような緑の穂には見向きもせず、黄色に熟した穂に群がる。

アキノエノコログサは一般に「ネコジャラシ」と言われるエノコログサよりも一回り大きく、花穂が垂れ下がる特徴がある。 エノコログサよりも1~2ヶ月早く、7月には穂が熟すのに「秋のエノコログサ」と言う見当はずれの名がついているのは何故だろう。

エノコログサ属の一種が栽培されてアワが生まれたというから、さぞ美味しいことだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月13日 (木)

タケニグサ(別の名を「ささやき草」と言う)

Takenigusa_1  容貌魁偉で手が付けられない悪党と言われる大男にも、案外優しい面があると言う事例は、植物界にも当てはまるようで、山の麓や崖崩れの跡地などで2mを越える巨体を見せるこの草は、「タケニグサ」「チャンバギク」「ウシゴロシ」「ササヤキグサ」など様々な名前と謂れを持っている。

① タケニグサ・・・竹と一緒に煮ると竹が柔らかくなるといわれているが、事実に反する

② チャンバギク・・・異国情緒の濃い、怪異な姿から、ベトナムのチャンバが原産地と間違えられた。

③ ウジゴロシ・・・毒草で葉を便所に入れると蛆が死ぬ。山郷などで山菜と間違えて食べTakenigusa_2 ると脳麻痺・呼吸麻痺・体温低下などの激しい中毒症状を惹き起こす。

など憎まれもののこの草の唯一の佳名が「ささやき草」である。               夏が終わり、実が熟す頃に、この草の穂に風が当たると、数百の実が擦れあって良い音がするので、折りとってお盆の招魂に使う地方もあったらしい。

梅雨の晴れ間に嵐山から保津峡経由明智越の山道を亀岡まで歩く途中、保津峡近くで大きな群落に出合った。ちょうど花の盛りだったが、早くも実の熟した株があり、揺すると「サヤサヤ」と優しくて涼しげな音がした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 7日 (金)

ノハラナデシコ(花の居所を知る楽しみ)

Noharanadesiko_1 現代詩人西脇順一郎氏の詩に、

何処へ行けば/サンザシの木が見られるか/知っていることは/偉大なことだ・・・

と言う詩(1節)があるが、こんな些細なことを偉大だなどと言い切る自信はないものの、何時、何処へ行けば、どんな花に合えるかを知っているだけで、平凡な生活に彩りが加わることだけは断言して差し支えないだろう。

地中海原産と言われている、この花に出合ったのは、10年ほど前で、以降、毎年5月下旬になると、万博公園を水源とする大正川の川堤か、万博公園の外周道路へ見にゆくことにしている。

道路では、間断なく車が行き交い、ジョガーが通り過ぎるが、花の直径僅か1cmと小さくても、白い斑いりの5弁花はナデシコそのもので、花の中心の紫の雄しべの葯との対比も鮮やかな、この花を振り返る人はない。

私一人のサンクチュアリにして置くのが惜しいと思う反面、この美しい花を一人占めできることを、ひそかに楽しんでいる次第である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 6日 (木)

ネムノキ(郷愁を誘う花)

Nemu 梅雨の晴れ間を利用して、嵯峨野から六合峠を越えて落合・保津峡を経由し「明智越」を明智光秀とは反対に、亀岡まで歩いた。

花の少ない時期だったが、今が盛りのネムの花が出迎えてくれた。

ネムノキは郷愁を誘う花で、少し年配の方なら、宮城まり子さんの「ねむの木学園」を思い出されるかもしれないし、皇后さん作詞の「ねむの木の子守唄」を連想される方も多いことだろうが、私は藤城清治画伯が描く里山と清流の風景を思い浮かべる。

ネムノキは、山間の河原や崖下などの砂礫が堆積した様な所に多く、梅雨のさ中に、マメ科の植物とは思えない繊細な花糸を持つボンボンのような花を枝一杯に咲かせる。

ネムノキの葉は、朝に開いて夕刻には閉じる。マメ科のフジ・ハギなども同じ性質を持っているのに、ネムノキだけが「眠りの木=ネム」の名前を与えられたのは、「その花が咲けば山の焼畑にアワ・ヒエ・アズキなどを播く」と言う言い伝えがあるほど山間の暮らしに密着した花だったからに違いない。

中国の「合歓」は、葉の睡眠運動を若い夫婦が抱き合って早寝すると言う粋な情景を二字で表現したこの種のネーミングの中の傑作であるが、わが国の貝原益軒は、「この木を植えると人の怒りを除き、若葉を食べると五臓を安んじ、気を和らげる」と言う。

先ず国会議事堂の周囲をネムノキで囲むみ、ついで大量の木を北朝鮮へ贈ることを提案して見てははいかかでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 5日 (水)

カタクリ(山を越え、谷を埋める佐渡のカタクリ)

Katakuri1 佐渡は花の島だった。

新潟からフェリーとタクシーを乗り継いで、登山口に降り立った地点から、アオネバ渓谷を遡上してドンデン山に登って一泊し、山頂のお花畑でゆっくり過ごし、最高峰の金北山まで縦走して、帰りのバスに乗り込むまで、色とりどりの山野草が途絶えることなく咲き続けているのだから、驚くやら。喜ぶやら、手を休めることなくシャッターを切り続けた。                             Katakuri2

金北山から見下ろすと、佐渡島には針葉樹が非常に少ないことに気付かされる。 縦走路にも歳を経たアシュウスギの森が散在しているが、樹林を形成することなく、山の大半が落葉樹に覆われているため、落葉の時期から山が緑に覆われる迄の間、地肌は十分に日光を浴び、雪消の水で潤うので、春の山野草は、またとない生活環境に恵まれて、のびのびと育って、花を咲かせる。

カタクリの大群も、登山路を跨いで、山を越え谷を渡り、延々と咲き続いて、唖然とさせられる。 ところで、佐渡のカタクリの葉に斑がないのは、何か理由があるのだろうか。「冬の豪雪が斑を洗い流したのかも知れないね」と冗談を言って、笑われたが、斑入りのカタクリを見慣れている者にとっては、若干もの足りない思いがするのだが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »