ムクノキ(歴史を見続けた椋の大木)
京都御所の南西角に、このムクノキは聳えていて、推定樹齢は300年、幹周り5・15m、全国のムクノキのランキングで15位と言う老木だが、樹勢は未だに極めて旺盛である。
この木とは古い馴染みで、音楽に夢中になっていた頃は、京都府立会館(アルティ)での演奏会の待ち時間を、この木の根元で軽食をとって過ごしたことも多く、散策の途中に夏の日差しを避けて涼をとり、秋の実の熟する頃にはバード・ウオッチングを楽しんだが、そんな些細な個人的な回顧よりも、この木が、蛤御門に近く、紫震殿の南西角という御所内の交通の要衝に当たる清水谷家(公家)の庭園に植えられて以来300年、どれだけ多くの歴史的な事件を見続けてきたかと言うことを述べなければなるまい。
西暦1,700年は、赤穂義士が討入りを果たした元禄13年に当たり、1,708年の京都の大火で禁裏・仙洞御所が全焼しているので、この木は、その直後に植えられた可能性が高い。 以降江戸幕府は年を追って衰退し、幕末に至るまで世情は混乱を極め、尊皇攘夷の大嵐が吹き荒れた間に、どれだけ多くの大宮人が、この木の下を右往左往したことだろうか。
禁門の変は、元治元年(1、866年)で、蛤御門を守護する薩軍の陣に、長州軍が雪崩れ込み、大乱戦の末長州軍は敗退したが、指揮官の来島又兵衛は、このムクノキの下で自刃したと言う。
また、この木が、真横に見える大文字山の「送り火」を300回も眺めてきたことを思うにつけても、木の寿命に比べて人の命の儚さを嘆かざるを得ない。
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