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2005年12月31日 (土)

ビワ(ロマンを秘めたビワの来歴)

biwano 年が暮れる頃に、ビワがひっそりと花を咲かせる。 駱駝色の綿毛に包まれて、やや下向きに咲く花には芳香があり、かろうじて生き残ったニホンミツバチに花粉を媒介して貰うのだろうか、その佇まいは、あくまでもひそやかで、慎ましやかで、私の大好きな花の一つである。                                                  biwa

12月28日、恒例の登り納めのポンポン山の、川久保尾根を下り切った辺りで野生種とも思える1本のビワ(写真下)を見付けた。ビワには日本在来説と中国からの渡来説があって未だに結論は出ていないらしいが、保育社刊「野山の木」の著者堀田満氏が「高槻の野生モモの自生地近くにビワの自生地がある」と述べておられるのを聞いていたので、さてこそ…と心が躍った。

諸説を勘案するに、ビワの故郷は揚子江の上流に当たる四川省大渡河周辺らしく、この地には他のビワ属の植物も多く見られると言う。 ビワは少しずつ進化を遂げながら流れに沿って揚子江を下り、更に対馬海流に乗って日本に流れ付いたのではないかと言う説に妥当性を感じる。その証拠に、山口県祝島・福井県冠島などの日本海側に自生地が多く見られると言う。

私が撮影したのが、若しも自生種だとしたら、どこをどう言う風に辿って、この地に移り棲んだものだろうか。

ロマンを秘めたビワの来歴である。

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2005年12月26日 (月)

メタセコイア2(六甲山とメタセコイア)

metasekia 「生きている化石メタセコイア」は繁殖させ易い木で、挿し木をすればいくらでも増えるるうえ、成長が速いので、1,949年の昭和天皇がカリフォルニア大学のチェイニー教授から第1号樹の献呈を受けえから、僅か56年で六甲森林公園などに見事な樹林は出現し、各地の植物園や校庭・遊園地などでは、亭々と聳える巨木を見ることができるようになった。

1,500万年前、西六甲の妙法寺川を遡って白川峠を北へ越えた辺りには、巨大な古神戸湖が広がっmetasekoia ており、周囲にはメタセコイアなどの亜熱帯植物が鬱蒼と生い茂っていたらしく、それが火山灰によって埋め立てられてできた「神戸層群」は日本有数の化石の産地となっており、当然のことながらメタセコイアの化石も頻出する。

その六甲の地に、1,500万年を経て里帰りしたメタセコイアの樹林を見ることができると言う「輪廻」の不思議さを、思わずにいられない。

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2005年12月23日 (金)

メタセコイア(伝説的名木との対面)

metasekoia 念願が叶って、京都大学理学部植物園植物園への入園を許されて、亭々と聳える伝説のメタセコイアとの対面を果たし、写真も撮影しることができた。

そもそも、メタセコイアは300万年前の新生代第3期頃まで栄えた後絶滅し、化石でしか存在しないとされてきたが、その化石を分析して新種「メタセコイア」と命名したのが京大三木茂博士で1,941年(昭和16年)のことである。

奇しくも、同年に中国四川省で発見されていた新種の針葉植物が、三木博士の同定した「メタセコイア」と同一のものと判明し、「生きていた化石」として全世界の注目を浴びたことは、ご存知の方も多いことと思われる。(新種として正式に認定されたのは、1,948年である)。

現在、京大植物園で栽培されている3本のメタセコイアお来歴については二つの説があるようだ。

① 1,949年にカリフォルニア大学チェイニー教授から昭和天皇に贈られた3本の苗木の中の1本と、それから株分けした2本である。なお、3本の中の1本は皇居の吹上御苑に健在だと言う。           (京大植物園観察会資料)

② 1,955年同大学農学部の第1回卒業記念に東大から3本の若木の分譲を受けて植えつけたものである。(農学部同窓会長・第1回卒業生の会報「記念樹は今①~③)

いずれが正しいかを判断する立場にはないが、現在日本国内各地で育成されているメタセコイアの原木か、極めてそれに近い伝説的な名木を見学できたことをご報告させていただく次第である。

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2005年12月22日 (木)

イイギリ(効率化の先端を行く樹)

iigiri  イイギリは不思議な樹である。

自然林では殆ど見掛けることのない稀な樹なのに、里山の谷間や林道の脇、都会の周辺などの広い空間のある場所では結構繁殖しているが、その繁栄の秘密を探ると、効率化の先端を行くような戦略の見事さに圧倒される思いがする。

先ず、成長のスピードが早い。他の木を圧して空間を占める戦略は、移動できない植物にとって必要不可欠だが、加えて枝を四方に車軸状に張って広いスペースをカバーし、大きな葉を重層的に張り巡らしiigiri て太陽熱を吸収する執拗さを見せる一方で、秋を感じるやいち早く葉をとして、実だけ残す果断さは、過剰人員を抱えて苦しむ企業の経営者に見せてあげたい。

夏に蓄えた栄養分でつくる実は、経済負担が少ないように、糖分・油脂などを極力減らして量産化を目指すため、余程不味いらしく、秋が深まっても鳥が食べない。 しかし、赤い実の広告効果は抜群で、冬が終わる頃には全部食べられて繁殖には支障はない。

雌雄異株だが、周りに異性がいない場合、素早く性転換を果たして結実するという融通性のある戦略を秘めていると言うから恐ろしい。

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2005年12月10日 (土)

コバノガマズミ(ガマズミは「神っ実」か)

kobanogamazumi ガマズミの語源は、「神っ実」が訛ったものと言われており、多少「眉唾」の思いがあるものの、たわわに実った赤い実に出合うと、心まで温まるような気がして、この木を手折って「山の神」に捧げたであろう古人の気持ちがなんとなく解るような気がする。

小鳥の大好物だが、一足お先に失礼して口に含むと甘酸っぱくて、結構美味しい。             kobanogamazumi

秋の山野を歩いていて、無闇に赤い実を食べると、とんでもないことになるのは周知の通りで、ヒョドリジョウゴなど中毒死を招き兼ねないが、この実は安全である。

コバノガマズミとガマズミは、よく似ているが、前者の方の葉が心持細く、触るとビロウドのような感触がある。 花もガマズミよりも1ヶ月ほど早く咲く。 同じような場所に生えているが、コバノガマズミの方が、より明るいアカマツの2次林などを好むらしく、太平洋岸に特に多いように思う。

里山の秋の木の実ウオッチングも結構楽しい。 

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2005年12月 7日 (水)

マンリョウ(日本に福を、米国には害を持ち込む植物)

mannryu 日本庭園を彩るこんなに優雅な植物が、アメリカでは「除去すべき外来有害植物」に指定されていると聞かされて、唖然としている。  日本から海を渡ってアメリカで猛威を振るっているクズ・スイカズラはよく知られているが、マンリョウまでがこの仲間に入るとは知らなかった。 

フロリダに持ち込まれたマンリョウは、民家の周りにびっしりと生えて、在来の木を排除して2次林を形成し、排除しようとしても繁殖が上回って手に負えず、最近ではルイジアナからテキサス辺りまで蔓延して、脅威を与えていると聞く。

日本では庭のモッコクの下にマンリョウを植え込んで、「マンリョウを持っ込んで福を呼ぶ」と語呂合わせをして喜ぶと言う、他愛のない俗習があるらしいが、フロリダの住民がこの話を聞いたら、どんな反応を示すだろうか。

秋の終わりに熟す赤い実を観察していると、面白いことに気付かされる。

 小鳥の啄ばむ順序はかなりハッキリしていて、センリョウ・クロガネモチ・ピラカンサ・ヤブコウジなどが先ずなくなって、ナンテンが残るが、ナンテンがなくなってもマンリョウだけが残るのは、余程その実が不味いからだろうか。

そのくせ、一番繁殖力が強いのはマンリョウだと言うのだから、自然界の仕組みは不可解である。

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2005年12月 5日 (月)

サザンカ(ここを書斎と定めたり)

sazannka2   山茶花を雀がこぼす日和かな

  山茶花のここを書斎と定めたり     

              正岡子規

サザンカが花の盛りを迎えた。パソコンを叩いている部屋の出窓越しに、風に揺れる花を眺めていると、私が愛唱する正岡子規の句が浮かんでくる。

サザンカは盛りを過ぎると、花弁も、花簪のように見える雄しべも、脆くなって崩れるように散る。 微風が吹いても、蜜を求めるメジロが止まっても、はらはらと散る有様を、さすが写生句の創始者といわれる正岡子規だけあって、的確に捉えた。 特に第2句は「我が意を得たり」の感じである。

12月1日、NHKの天気予報のアナウンサーが、「今日は、今年最後の小春日和になるかも知れません」と言ったが、その予報が見事に的中して、サザンカに暖かい日差しが振り注いでいる。

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