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2005年9月23日 (金)

ミズアオイ(植物界切っての変人)

mizuaoi ミズアオイは写真で見る通り、日本の水生植物の美人コンクールを催せば、上位入賞間違いなとい思われるほど美しい花を咲かせるが、環境庁のレッド・データ絶滅危惧種Ⅱ類(VU)に指定されていて、メダカやゲンゴロウムシと共にに大阪周辺の水田から姿を消して久しい。

昨日、山の会で近鉄壷阪寺駅から高取城址経由明日香村まで歩いたが、壷阪寺駅前の「夢想館」n庭の水路に栽培されているのを見つけて撮影させていただいた。

この植物は、これ以上美しい青紫色はあるまいと思うほど清楚できりmizuaoiりとした花を咲かせる反面、どこかの国の総理大臣と方を並べるような「植物界切っての変人」なのである。 

ある年、人気のない休耕田や溜池の片隅などに大きな群落を作るかと思うと、翌年は全部消えて、以降いくら待っても姿を見せず、あきらめてる頃に、とんでもない遠方で芽をだす。 

人為的な環境が苦手で、水質・農薬・除草剤に過敏に反応する一方で、都会の真ん中の排水路で咲きだして新聞種になったりもする。 北日本では、環境の悪化に耐性を持つ種が生まれて大繁殖しているというから、一体全体、強いのか弱いのか正体が掴み難い、気紛れな植物なのである。

     

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シロバナマンジュシャゲ(老人の日の贈り物)

sirobanamannjyusyage老人の日の招待を受けて、近所の小学校へ出掛けた。催し物の漫才などは敬遠して、引き出物だけをいただいて帰る途中で、シロバナマンジュシャゲが咲いているのを見つけてカメラに収めた。

当年73歳ながら、ことさらに、老人の日などと言われると面映く、かねがね「この種の祝いは傘寿からでよい」などと嘯いているものだから、子供達もプレゼントなど口にせず、私の方もそれで良しとしているが、吹田市の折角のご好意を無にすることもあるまいと思ってで出掛けた次第で、今日は紅白のマンジュシャゲを1ショットsirobanamannjyusyage に収めることができたことが、なによりの「贈り物」と思われて嬉しかった。           

シロバナマンジュシャゲは九州地方に多い黄花のショウキラン(母親)とヒガンバナ(父親)が自然交配した雑種だと言われているが、花をよく見ると、全体が少しピンクの掛かった黄味を帯び、花弁の縁が波打たない点などショウキランそっくりである。

ほかに、シロバナヒガンバナがあるが、この方は生粋のヒガンバナの白花種だと言うからややこしい。

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イワシャジン(30年振りのご対面)

iwasyajinn イワシャジンとの最初の出合いは丹沢山塊だったが、この後は関西に帰ったので見ることもなく、今回、木曽御岳の黒沢ルートの7合目で再会して、30年振りの対面を果たした。

元来、「シャジン」と名が付く植物は狭い地域で特異な分化を示し、同類にモイワシャジン(北海道・青森)・ツクシシャジン(宮崎・熊本)・シライワシャジン(長野県白岩)などがあり、高山植物としては南アルプスの鳳凰三山に特産するホウオウシャジンが有名である。

イワシャジンの本拠は丹沢山系で、東は神奈川県、西は愛知県から長野県の南部の太平洋側に散在すると言う。

糸魚川から静岡にいたるフォッサマグナと呼ばれる大断層帯とその両サイドは、日本列島の中でも最も地殻変動の激しい所で、古くは北・中央・南の三大山脈の隆起、木曽御岳・乗鞍岳・富士山を始めとする伊豆・箱根の火山活動、度重なる氷河の消長などめまぐるしいばかりの変動が続いた。 過酷な環境下では、多くの動植物の新種は生まれ、高い山や深い渓谷に隔てられた狭い地域で、更に種の分化が促進される。

その生き証人とも言うべきイワシャジンは、茎が細く、柳に似た細い葉とともに垂れ下がり、縦長の青紫の釣鐘型の花を下向きに咲かせて、私を迎えてくれた。

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2005年9月17日 (土)

ノゲイトウ(林立する銀白色のローソク)

nogeitou 北生駒山麓のハイキング・コース「かいかけの道」で、素晴らしいノゲイトウの花に出合った。 草丈は1を超え、逆行の陽の光を浴びた花穂が林立する銀白色のローソクのようで、息を呑むほど美しかった。 休耕田の畦に生えていたが、近所の農家が仏花にするために栽培していたものが逃げ出したのかも知れない。 淀川の河川敷や市内の廃工場の跡地などでも、あちらこちらで見掛ける。

花穂がキャンドル・タイプのノゲイトウといわれる野生種(または半野生種)には、何系統かの種があるらしく、原産地も熱帯アジア(インド・中国)・アメリカ大陸・アフリカ大陸と多岐にわたり、花色も白色または銀白色からピンク(濃淡)・真紅まで変化が大きい。 日本へは江戸時代に渡来したらしく、飯沼慾斎の「草木図説」に記載されていると言う。

1年草で、関東以西の暖地で広く野生化し、沖縄では大群落があるらしい。 近畿地方では野生・半野生のもの50%、栽培されたのも50%と言ったところだろうか。 清楚ですっきりした花の姿がフラワー・アレンジメントなどにも適しているようで、花屋の店頭でもよく見掛ける。

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ヒナタイノコズチ(幼い日の思い出)

hinayainokoduti 大阪近郊の交野山の大岩の割れ目に生えたヒナタイノコズチの生態に惹かれて撮影した。イノコズチにはヒナタイノコズチとヒカゲイノコズチ(イノコズチ)があり、大まかに前者は日向に生え、後者は裏庭や竹やぶなど日陰に生える。

幼い頃、原っぱで遊んだ経験のある方ならば、イノコズチを引っこ抜いて、瘤のように膨れた茎の節で、「叩きあいっこ」してふざけたことを思い出されるのではないだろうか。

和名は「猪の子槌」で、この節高の茎をイノシシの膝頭に見立てたと言う。

実が熟すといわゆる「ヒッツキ虫、関東ではクッツキ虫」になる。 日が暮れるまで遊び呆けて家に帰ると、セーターにもズボンにも、この実が一杯ついていて、戸外で全部払い落とさないと入れてもらえないので、空腹を抱え、ベソをかきつつ、一つ一つ丁寧に取ったことが思いだされる。 夕食の芳しい匂いまでが甦ってくるようだ。

ヒナタイノコズチを陰干ししたものを「牛膝=ゴシツ」と言い、漢方では利尿・強精剤、民間では密かに堕胎薬にしたと言う。 最近、この植物から昆虫が変態するときに必要なホルモンが発見されて注目を浴びていると聞いた。 よく似ていても、ヒカゲイノコズチには薬効がないらしい。

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2005年9月16日 (金)

ハナハマセンブリ(新しい花を見つけた・・・)

hanahamasennburi 昨年6月下旬、野芝がしょぼしょぼ生えているだけの茨木市内の平凡な池の土手が、鮮やかなピンクに染まっているのに気が付いて近寄って見るとハナハマセンブリ(初見)の見事な群落だったが、今年、同じ時期に、同じ場所を訪ねたが1株も見当たらず、さんざん探し回って、3~4km離れた淀川の堤防で、小さな群落を見るにとどまった。

ハナハマセンブリは、地中海原産の植物で、神奈川県で発見されたのが、1,988年と言うから、帰化植物の中ではピカピカの新入生である。その花が、あっという間に日本全土に広がっているらしい。 1年草で、種子の散布にも特別変わった手段も持っていないと思われるが、どうしてこんなに素早く全国展開することができたのだろうか。

インターネットを検索して見て、また驚いた。 Yahooに131件、Googleに201件の情報登録がある。 新しく渡来した花の情報の伝達速度の速さもIT時代に相応しく、簡単且つ用意に欲しい情報が入手できるのが嬉しい。 終戦後、帰化植物の図鑑類が整備されていない頃には、工場用の造成地や港湾の荷揚げ作業の現場周辺で、新しい植物を見かけても、検索の手段がなくて切歯扼腕させられたものだったが・・・、まさに、隔世の感あり、と言った思いがする。

リンドウ科の植物だけあって、雨や曇天に花を閉じる習性があり、センブリの近縁種なので原産地では切り傷に効用があると言われているようだ。

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