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2005年7月28日 (木)

オサバグサ(薬師岳の妖精)

osabagusa 人と同じように、花とも相性があるらしく、オサバグサの花の盛りに出合った事がない。

1属1種で日本の特産種(分布は本州のみ)だが、完全な東日本型の植物で、関が原・若狭ラインから以東の亜高山帯びの樹下に生えるため、関西では見ることができないうえに、花は6月上旬から下旬に咲くので、登山シーズンの初めでは蕾が固く、梅雨が明けると花が散ってしまっていて切歯扼腕することになる。

今回の東北遠征では前もって、タイマグラの奥畑克幸氏から「薬師岳のオサバグサは例年にない見事な花をさかせています」と聞いていたので、勇躍して出掛けた。

残念ながら花は1週間前位が見頃で、大方は散り始めていたが、頂上の近くには咲き残った群落が多く、十分に満足することができた。

ところで、この植物がケシ科に属すと聞いて、素直に納得する方がいらっしゃるだろうか。葉は一見してシダ植物と見紛うが、その櫛状にでる葉が織機の筬(おさ)に似ているというのでこの名が付いた。叢生する葉の真ん中から細い花茎をだして、4弁で鐘形の花を下向きにつけるが、暗い深山の樹下では純白の花が人目を惹き、「深山の妖精」と言う名に相応しい情緒を感じさせてくれる不思議な植物である。

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イワウメ(たった一輪の花だったが…)

 一生同じ歌を 歌いつづけるのは                

  だいじなことです むずかしいことです

  あの季節がやってくるたびに

  おなじ歌しかうたわない 鳥のように

      岸田衿子詩集「あかるい日の歌」より

iwaume    イワウメに合いたいと念じつつ、早池峰山の真向かいにどっしりした山容を示す薬師岳に登ったが、咲き残っていたのは、僅か一輪。同じ岩場に咲くイワヒゲは満開だったのに、どうしたことだろうか。                   

あきれるほど山に登って、イワウメにも度々出合っているのに、よい写真に恵まれていないので、今度こそ花の盛りを撮影したいと意気込んでいたが、高山の花の季節は誠に短く、僅か数日前後するだけで、こんな現象が起きるのである。                        

5歳で父に連れられて播磨の名山「雪彦山」に登って以来、山暦68年、山を歩いて花を見ることに終始してきたのに、未だに飽きることがないのは、「同じ歌しかうたわない鳥のようなもの」と、半ば自嘲しつつ、たった1輪のイワウメを丁寧に撮影して、山を下りた。         

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2005年7月27日 (水)

コタヌキラン(植物界のピーピング・トム)

kotanukirann  コタヌキランをピーピング・トム(出歯亀=覗き魔)とは、穏やかならぬ表現だが、この草が温泉の湧出口など植物の大敵である硫化水素が充満している場所を好んで生え、露天風呂の脇などで、子狸の尻尾そっくりの花穂を風に揺らせながら、女風呂の方角を見るともなく、横目で伺っている様子を見るならば、「なるほど」と納得し、ニヤリとなさる方も多いことだろう。

一方、タヌキランはコタヌキランほどポピュラーではないが、写真で見るとおり、コタヌキランよりも一回り大型で、狸に似ている度合いでは、コtanukirann タヌキランよりも数段上である。いずれもカヤツリグサ科の植物だが、一見何の取柄もないないような植物に一捻り加えてユーモア溢れる存在にした造化の神様のセンスには頭を下げざるを得ない。 タヌキラン・コタヌキランのネーミングもまた絶妙である。

タヌキランは焼石岳に多いと聞いていたので注意して歩き、お化けミズバショウの葉陰で見つけて撮影することができたので、栗駒山の須川高原温泉で撮ったコタヌキランと並べてご紹介させていただく。

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2005年7月17日 (日)

シレトコスミレ(知床の世界文化遺産決定を祝う)

siretokosumire シレトコスミレは北の最果てのスミレである。

この希少なスミレの存在を知ったのは、橋本保著「日本のスミレ」(誠文堂新光社刊)であるが、この著書の初版は昭和42年、この種の著書に飢えていた山野草愛好者の渇を癒すに足る名著として長く支持されて今日に至り、私なども以来繰り返し愛読して、表紙のカバーもボロボロになってしまった。

当時の知床半島は最果ての土地と目されていたし、その知床の羅臼岳・硫黄岳のみで、稀にしか見ることが出来ないと言うスミレなどは、京阪神・名古屋・東京を転々とするサラリーマンにとっては、高嶺の花どころか、全く手の届かない異国の花に等しかった。

花のM氏のご子息が、斜里町立知床博物館の学芸員で、北方動物の権威だが、平成14年に父子で硫黄岳に挑戦されると聞いて、昔の夢が甦り、是非シレトコスミレを撮影してきて欲しいとお願いしたが、その時は登頂を断念し、その後にご子息が撮影して送ってくださったのが、この写真である。 

翌年の平成15年に、ご子息の案内で知床半島を歩いたが、斜里岳や羅臼岳・硫黄岳などの連山は麓から、その威容を仰ぎ見るだけで、日本最北の山頂に咲くシレトコスミレは、依然として高嶺の花だった。

今回、知床半島が世界文化遺産に決定したと言う朗報に接したが、熊野の実情を目の当たりにしているだけに、観光ブームが巻き起こって、シレトコスミレを始めとするかの地の貴重な動植物資源が危機に晒されることが懸念される。関係各位はご苦労と思うが、各機関が連携を密にして、手厚い保護を行い、末永く生き残ってくれることを切に祈りたい。

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2005年7月15日 (金)

ヒナザクラ(東北地方随一の名花)

hinazakura 日本のプリムラ属は、変異性が大きく、生育地が限られた希少種が多い中で、ヒナザクラは学名をPrimula nipponica Yatabeとある通り、日本の特産種ではあるが、東北地方の高山に登りさえすれば、どこででも出合うことができるポピュラーな名花でる。

どう言う訳か早池峰山と岩木山には見られず、代わりに早池峰山にはヒメコザクラが、岩木山にはミチノクコザクラが特産するのだから、高山性のサクラソウの分布は、不可思議と言わざるを得ない。

花を求めて山に入るようになってからも、ヒナザクラは憧れの花で、日本アルプスの山小屋などで花談義が始まると、東北地方の山を体験した仲間から「雪田が消えた跡に咲く真っ白なヒナザクラほど印象的な花はない」などと聞かされて、ますます思いが募った。

平成11年に、この花を見ることだけを目的にして八幡平に遊び、ふけの湯温泉に1週間滞在して、毎日バスで山頂に通い、大湿原の雪が解けてヒナザクラが蕾を擡げ、一輪ずつ開花して、やがて辺り一面が真っ白な花で埋まる様子をつぶさに観察すると言う得がたい体験をして以来、毎年のように、この花と出合っているが、逢う度に胸が躍って飽きることがない。

私のような素人が撮影するには結構難しい花で、1~2輪を切り取るのは寂し過ぎるし、群落にレンズを向けると、細い花茎の先端に咲く花が思い思いに向きを変えていて構図が纏まらず、かすかな微風にもそよいでシャッター・チャンスが掴みにくいが、6月30日に焼石岳の姥石平で、運良く岩の間に固まり、上を向いて咲く群落と出合ったので、真上から見下ろすアングルで撮影を試みた。

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トキソウ(高層湿原に相聞歌が聞こえる)

tokisou 秘湯と言われた須川高原に一泊して栗駒山を目指した日、東北地方を不連続線が通過したため、山は雷雲の覆われ、中腹一帯が濃い霧に包まれていたので登頂を断念して、温泉の近くの高層湿原を散策した。

トキソウの群落に出会い、二つの花が相対して相聞歌を交わしているような情景に見えたので、微笑ましく思いシャッターを切った。

トキソウは南千島から九州まで広い範囲に分布し、昔は山の湿原で比較的容易に見ることができる花だったが、乱獲が祟ったか、特に関西では見掛けることが少なくなり、こうして北の山に遠征しては渇を癒す有様である。

東北の火山性の山々は、中腹から山頂に掛けて大小様々な湿原を抱えており、たいていはミズゴケなどが腐敗することなく堆積した強酸性で貧栄養の土壌なので、植生は限られているが可憐な花に出合うことができる山野草の宝庫である。

今日も短時間の霧の中の散歩で、トキソウ・サワラン(アサヒラン)・オノエラン・モウセンゴケ・ミツガシワ・ツマトリソウ・タテヤマリンドウなどに出合うことができたなは、望外の幸せと言うべきではないだろうか。

山は高きをもって「尊し」とせず、花あるをもって「尊し」と思いたい。

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