ガクアジサイ・隅田の花火(雨に荷風と蘆花を想う)
梅雨の晴れ間を見て、庭のガクアジサイ(隅田の花火)を撮影した。
「終日曇り、午後に小雨」の予報が外れて、夜半からの雨が残っていたので、家居を決め込み、「隅田の花火」「隅田川」「永井荷風」「断腸亭日乗」と言う単細胞的な連想から、書架の「断腸亭日乗」上下2冊を取り出し、拾い読みして1日を過ごしたが、久し振りに目を通して、日記文学の最高峰といわれるにしては、後半が色褪せて見えるのに驚いた。
「日記の虚実」を書いた紀田順一郎の著書にもある通り、この日記のクライマックスは終戦直前の東京大空襲で自宅の「偏奇館」が、膨大な蔵書とともに焼け落ちる箇所で、それ以降の記述は急に精彩を失っていったが、その最大の原因は戦中の消極的な人間関係に起因すると言う。 同感である。
時代は異なるが、同じような傾向が明治の文豪徳富蘆花にも見られる。両者共に壮年の或る時期に、親・兄弟・親族との確執から交わりと断つと同時に世俗の付き合いからも遠ざかり、荷風は孤独の、蘆花は夫人と女中の3人だけの狭い世界に沈殿したことが、前半生の華々しい活躍に比して、後半の知的生活面の展開が貧弱で、竜頭蛇尾の生涯を送らざるを得なかった主因であるように思える。
この日記に触発されて、「定年後の人付き合いを大事になさいよ」と言う平凡ながら貴重な教訓を残してくださった先輩の言葉を思い出すきっかけになったのだから、梅雨の雨とアジサイに感謝せずばなるまい。
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